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源氏物語 (1 記事)
夕顔の宿
 六条わたりの御忍びありきのころ、内裏よりまかで給ふ中宿りに、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家訪ねておはしたり。
御車入るべき門はさしたりければ、人して惟光召させて、待たせ給ひけるほど、むつかしげなる大路のさまを見わたし給へるに、この家のかたはらに、桧垣といふもの新しうして、上は半蔀四、五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透き影あまた見えてのぞく。立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。いかなる者の集へるならむと、やう変はりておぼさる。
御車もいたくやつし給へり、前駆も追はせ給はず、たれとか知らむと、うちとけ給ひて、少しさしのぞき給へれば、門は蔀のやうなる押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに、いづこかさしてと思ほしなせば、玉の台も同じことなり。
切懸だつ物に、いと青やかなる葛の心地よげにはひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。源氏「をちかた人にもの申す。」とひとりごち給ふを、御随身ついゐて、随身「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲き侍りける。」と申す。
げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、この面かの面あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに、はひまつはれたるを、源氏「口惜しの花の契りや、一房折りて参れ。」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。
さすがにされたる遣り戸口に、黄なる生絹の単袴長く着なしたる童のをかしげなる、いで来てうち招く。白き扇のいたうこがしたるを、童「これに置きて参らせよ、枝も情けなげなめる花を。」とて、取らせたれば、門開けて惟光朝臣いで来たるして奉らす。
 (惟光)「かぎを置き惑はし侍りて、いと不便なるわざなりや。もののあやめ見給へ分くべき人も侍らぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまして。」とかしこまり申す。引き入れて下り給ふ。
惟光が兄の阿闍梨、婿の三河守、むすめなど渡り集ひたるほどに、かくおはしましたるよろこびをまたなきことにかしこまる。尼君も起き上がりて、「惜しげなき身なれど、捨てがたく思ひ給へつることは、ただ、かく、御前に候ひ御覧ぜらるることの変はり侍りなむことを口惜しく思ひ給へたゆたひしかど、忌むことのしるしによみがへりてなむ、かく渡りおはしますを見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀仏の御光も心清く待たれ侍るべき。」など聞こえて、弱げに泣く。
 (源氏)「日ごろおこたりがたくものせらるるを、やすからず嘆き渡りつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれに口惜しうなむ。命長くて、なほ位高くなども見なし給へ。さてこそ九品の上にも障りなく生まれ給はめ。この世に少し恨み残るはわろきわざとなむ聞く。」など、涙ぐみてのたまふ。
 かたほなるをだに、乳母やうの思ふべき人はあさましうまほに見なすものを、ましていと面だたしうなづさひつかうまつりけむ身もいたはしう、かたじけなく思ほゆべかめれば、すずろに涙がちなり。子どもは、いと見苦しと思ひて、そむきぬる世の去りがたきやうに、自らひそみ御覧ぜられ給ふとつきしろひ目くはす。
 君はいとあはれと思ほして、「いはけなかりけるほどに、思ふべき人々のうち捨ててものし給ひにける名残、はぐくむ人あまたあるやうなりしかど、親しく思ひむつぶる筋はまたなくなむ思ほえし。人となりて後は、限りあれば、朝夕にしもえ見奉らず、心のままにとぶらひまうずることはなけれど、なほ久しう対面せぬときは心細くおぼゆるを、さらぬ別れはなくもがなとなむ。」など、こまやかに語らひ給ひて、おし拭ひ給へる袖のにほひも、いとところせきまで薫り満ちたるに、げによに思へば、おしなべたらぬ人の御宿世ぞかしと、尼君をもどかしと見つる子どもみなうちしほたれけり。
 修法など、またまた始むべきことなどおきてのたまはせて、出で給ふとて、惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もてならしたる移り香いとしみ深うなつかしくて、をかしうすさび書きたり。
  心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
そこはかとなく書きまぎらはしたもまあてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかにをかしうおぼえ給ふ。
 惟光に、「この西なる家は何人の住むぞ、問ひ聞きたりや。」とのたまへば、例のうるさき御心とは思へども、さは申さで、「この五日、六日ここに侍れど、病者のことを思う給へ扱ひ侍るほどに、隣のことはえ聞き侍らず。」など、はしたなやかに聞こゆるば、(源氏)「にくしとこそ思ひたれな。されど、この扇の尋ぬべきゆゑありて見ゆるを。なほこのわたりの心知れらむ者を召して問へ。」とのたまへば、入りて、この宿守なる男を呼びて問ひ聞く。
 「揚名介なる人の家になむ侍りける。男は田舎にまかりて、妻なむ若く事好みて、はらからなど宮仕へ人にて来通ふと申す。くはしきことは、下人のえ知り侍らぬにやあらむ。」と聞こゆ。さらば、その宮仕へ人ななり、したり顔にものなれて言へるかなと、めざましかるべききはにやあらむとおぼせど、さして聞こえかかれる心のにくからず、過ぐしがたきぞ、例の、この方には重からぬ御心なめるかし。御畳紙にいたうあらぬさまに書きかへ給ひて、
  (源氏)よりてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔
ありつる御随身して遣はす。
[230 参照]
平家物語 (3 記事)
待宵の小侍従
 待宵の小侍従という女房も、この御所に仕えていた。この女房を「待宵」と申したことは、ある時、御所で、(中宮から)「恋人を待つ宵と恋人の帰って行く朝と、どちらが悲しさがまさっているか。」とお尋ねがあったので、
 恋人の来るのを待つ夜、だんだんふけて行く時に、鐘の音を聞くと、その悲しさは恋人の帰って行く朝、惜しい別れをせき立てる鶏の声を聞く悲しさなど問題でない。
とよんだことによって、待宵とお呼びなさった。
 大将はあの待宵の女房を呼び出して、昔のことや今のことを話して、夜もだんだんふけて行くので、旧都の荒れて行く様子を今様に作って歌いなさった。
 この旧都に来て見ると、どこもかしこも荒れ果てて、一面浅茅の生い茂った野原となってしまった。
 月の光はすみずみまで照って、秋風だけが身にしみるように吹いている。
と三回くりかえしじょうずにお歌いなさったので、大宮を始め申しあげて、御所中の女房たちは皆涙を流しなさった。
 そのうちに夜も明けたので、大将はおいとまごいを申しあげて、福原へお帰りになった。お供をしていた蔵人を呼んで、「あの小侍従が、別れる時にあまりなごり惜しそうに思っていたようだから、おまえ、(京へ)帰って、なんとでも言ってこい。」とおっしゃったので、蔵人は急いで帰って、「大将殿が、『つつしんで申しあげよ。』とのことです。」と言って、
 別れの朝の鳥の声はものの数ではないとあなたが言ったという鳥の声が私の帰るけさはどうしてこんなに悲しいのでしょうか。
と歌をよむと、小侍従は涙をおさえて、
 もしおいでを待つのなら、ふけて行く鐘の音も間題でしょうが、なごり惜しい別れに聞く鳥の声こそがほんとうにつらいのです。
と返歌した。蔵人は帰って参って、この次第を申しあげたので、「このように風流なあいさつをするからおまえをつかはしたのだ。」と大将は大いに感心なさった。このことによってこの蔵人を「ものかわの蔵人」と呼ばれた。
[391 参照]
小督
 亀山のあたり近く、松の一群のある方向に、かすかに琴の音が聞こえて来た。峰に吹く嵐の音か、松の梢を吹く風か、それとも探している人の琴の音か、はっきりしないと思ったけれども、馬を急がせて行くうちに、片折戸をつけた家の中で、だれかが琴をみごとにひいていらしゃる。(馬を)ひかえてこれを聞いたところが、少しも間違うはずもない小督殿の爪音である。楽曲は何かと聞いたところが、「夫を思って恋う」と読む「想夫恋」という曲であった。やはり思った通りだった。帝の御事を思い出し申しあげて、楽曲は多いのに、この楽曲をひきなさった優雅さよ。まれなことである、と思われて、腰から横笛を抜き取って、ぴっと鳴らして、戸をとんとんとたたくと、すぐに(琴を)ひきやめなさった。仲国は大声で「こちらは、宮中から仲国がお使いに参りました。門をお開けください。」と言って、門をたたいても、たたいても、返事をする者もいない。しばらく経って、中から人の出て来る音がしたので、うれしく思って待っていると、門の錠をはずし、門を細目に開けて、かわいらしい様子をした小さな女房が、顔だけを出して、「家を間違えているのでございましょう。ここは宮中からお使いなど当然いただくような所ではございません。」というので、(仲国は)かえって返事をして、門を閉められ、錠をかけられてはきっとまずいだろうと思って、無理に門を押し開けて中に入ってしまった。
[150 参照]
猫間殿
 ある時、猫間の中納言光高卿という人が、木曾に相談なさらなければならないことがあって、おいでになった。家来どもが「猫間殿がお目にかかり、申さなければならない用事があるといって、いらっしゃっております。」と申しあげると、木曾は大いに笑って、「猫は人にお会いするのか。」「この人は猫間の中納言と申す公卿でいらっしゃいます。住んでいらっしゃる所の名と思われます。」と申しあげると、木曾は「それならば。」と言って対面する。なおも猫間殿とは言うことができないで、「猫殿が思いがけず来られたのだから、食事の用意をせよ。」とおっしゃった。中納言はこれを聞いて、「ただ今は御飯など食べられるはずもない。」とおっしゃると、「どうして食事時にいらっしゃったのに、食べられないということがあろうか、いやない。」なんでも新しい物を無塩というと思い込んで、「ここに無塩の平茸がある。早く、早く。」と急いで支度させる。根井小弥太が給仕をつとめる。田舎風のふたつきのお椀の非常に大きく深い中に、飯をうず高くもり、おかず三品に、平茸の汁でさしあげた。木曾の前にも同じように置いた。木曾は箸を取って食べる。猫間殿はお椀がむさくるしい感じであったので、召しあがらなかったところ、義仲が「それは義仲の精進合子ですぞ。」と言う。中納言は召しあがらないのもそうはいっても悪いであろうから、箸を取って召しあがるふりをした。木曾はこれを見て、
「猫殿は小食でいらっしゃったのか。うわさに高い猫おろしをなさった。飯をかきこまれよ。」と言ってせきたてた。中納言殿は、このようなことに興ざめして、御相談なさることも一言も言い出さず、そのまま急いでお帰りになった。
[189 参照]
方丈記 (0 記事)
伊勢物語 (4 記事)
東下り
 昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり。もとより友とする人一人二人していきけり。道知れる人もなくて、惑ひいきけり。
 三河国、八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく川のくも手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木の陰におりゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人の言はく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める、
  から衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。
 ゆきゆきて、駿河国に至りぬ。宇津の山に至りて、我が入らむとする道は、いと暗う細きに、つた・かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめをみることと思ふに、修行者会ひたり。「かかる道はいかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。
  駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に会はぬなりけり
 富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
 その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
 なほゆきゆきて、武蔵国と下総国との中に、いと大きなる川あり。それをすみだ川といふ。その川のほとりに群れゐて思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわび合へるに、渡し守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ
魚を食ふ。
 さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
  名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。
[256 参照]
鎮魂歌
 昔、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男に物言はむと思ひけり。うちいでむことかたくやありけむ、物病みになりて死ぬべき時に、「かくこそ思ひしか。」と言ひけるを、親聞きつけて、泣く泣く告げたりければ、惑ひ来たりけれど死にければ、つれづれとこもりをりけり。時は水無月のつごもり、いと暑きころほひに、宵は遊びをりて、夜ふけて、やや涼しき風吹きけり。ほたる高く飛び上がる。この男、見伏せりて、
  ゆくほたる雲の上まで往ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ
  暮れがたき夏の日暮らしながむればそのこととなくものぞ悲しき
[190 参照]
うるはしき友
 昔、男、いとうるはしき友ありけり。片時去らず相思ひけるを、人の国へ行きけるを、いとあはれと思ひて、別れにけり。月日経ておこせたる文に「あさましく対面せで、月日の経にけること、忘れやしたまひにけむと、いたく思ひわびてなむはべる。世の中の人の心は、目離るれば忘れぬべきものにこそあめれ。」と言へりければ、よみてやる。
  目離るとも思ほえなくに忘らるる時しなければ面影に立つ
[171 参照]
筒井筒
 昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ。女は、この男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとより、かくなむ。
  筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
 女、返し、
  くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。
 さて、年ごろ経るほどに、女、親なく頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所出で来にけり。さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、出だしやりければ、男、異心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へ往ぬる顔にて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、
  風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。
 まれまれ、かの高安に来てみれば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつは物に盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
  君があたり見つつををらむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人、「来む。」と言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
  君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
[193 参照]
和泉式部日記 (1 記事)
四月十余日
 夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。築土の上の草青やかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、故宮に候ひし小舎人童なりけり。
 あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔の名残にも思ふを。」など言はすれば、「そのことと候はでは、なれなれしきさまにやと、つつましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかりありきてなむ。いとたよりなく、つれづれに思ひ給うらるれば、御かはりにも見奉らむとてなむ、帥宮に参りて候ふ。」と語る。「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ。」など言へば、「しかおはしませど、いとけ近くおはしまして、『常に参るや。』と問はせおはしまして、『参り侍り。』と申し候ひつれば、『これ持て参りて、いかが見給ふとて奉らせよ。』とのたまはせつる。」とて、橘の花を取り出でたれば、「昔の人の」と言はれて、「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき。」と言へば、ことばにて聞こえさせむもかたはらいたくて、「なにかは、あだあだしくもまだ聞こえ給はぬを、はかなきことをも。」と思ひて、
 薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると
と聞こえさせたり。
 まだ端におはしましけるに、この童隠れの方に気色ばみたるけはひを、御覧じつけて、「いかに。」と問はせ給ふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
 同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや
と書かせ給ひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。好きがましきやうなり。」とて、入らせ給ひぬ。
[545 参照]
十訓抄 (2 記事)
小式部の大江山の歌
 和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、定頼中納言たはぶれて、小式部内侍、局にありけるに、「丹後つかはしける人は参りたるや。いかに心もとなくおぼすらん。」といひて、局の前を過ぎられけるを、御簾よりなからばかり出でて、わづかに直衣の袖をひかへて、
 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
とよみかけけり。思はずにあさましくて、「こはいかに。かかる様やはある。」とばかりいひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。小式部、これより歌よみの世におぼえ出できにけり。これはうちまかせて、理運の事なれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただ今よみ出だすべしとは、知られざりけるにや。
[546 参照]
安養の尼上
 横川の恵心僧都の妹、安養の尼上のもとに強盗入りて、あるほどの物の具、みな取りて出でければ、尼上は紙衾といふものばかりひき着て居られたりけるに、姉なる尼のもとに小尼上とてありけるが、走り参りて見れば、小袖を一つおとしたりけるを取りて、「これおとして侍るなり。奉れ。」とてもてきたりければ、尼上、「それを取りて後は、わが物とこそ思ひつらめ。主の心ゆかぬ物をばいかが着るべき。いまだ遠くはよも行かじ。とくとくもておはして、とらせ給へ。」とありければ、門戸の方へ走り出でて、「やや。」とよびかへして、「これおとされにけり。たしかに奉らむ。」といひければ、盗人ども立ちとどまりて、しばし案じたるけしきにて、「あしく参りにけり。」とて、取りたる物どもさながらかへしおきて、帰りにけり。
[1088 参照]
蜻蛉日記 (2 記事)
兼家の求婚
 かくありしとき過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世に経る人ありけり。かたちとても人にも似ず、心だましひもあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも理と思ひつつ、ただ伏し起ぎ明かし暮らすままに、世の中に多かる古物語の端などを見れば、世に多かる虚言だにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記してめづらしきさまにもありなむ、天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかしとおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのこともおぽつかなかりければ、さてもありぬべきことなむ多かりける。
 さて、あはつけかりしすきごとどものそれはそれとして、柏木の木高きわたりより、かく言はせむと思ふことありけり。例の人は、案内するたより、もしはなま女などして言はすることこそあれ、これは親とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかししに、「便なきこと。」と言ひつるをも知らず顔に、馬にはひ乗りたる人してうちたたかす。「誰。」など言はするにはおぼつかなからず騒いだれば、もてわづらひ取り入れてもて騒ぐ。見れば紙なども例のやうにもあらず、至らぬところなしと聞きふるしたる手も、あらじとおぼゆるまであしければ、いとぞあやしき。ありけることは、
  音にのみ聞げばかなしなほととぎすこと語らはむと思ふ心あり
とばかりぞある。「いかに。返り言はすべくやある。」など定むるほどに、古体なる人ありて、「なほ。」と、かしこまりて書かすれば、
  語らはむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声なふるしそ
[283 参照]
町の小路の女
さて九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるのを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて書きつく。
 疑はしほかに渡せる文見ればここや途絶えにならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう十月つごもり方に三夜しきりて見えぬときあり。つれなうて、「しばし試みるほどに。」など、気色あり。
 これより、夕さりつ方、「内裏の方ふたがりけり。」とて出づるに、心得で人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる。」とて、来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日ばかりありて、暁方に門をたたくときあり。さなめりと思ふに、憂くて開けさせねば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
 嘆きつつ一人寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。返り言、「あくるまでも試みむとしつれど、とみなる召使の来合ひたりつればなむ。いと理なりつるは。
 げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり」
さてもいとあやしかりつるほどにことなしびたり。しばしは忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ限りなきや。 
[1134 参照]
古今和歌集 (0 記事)
古今著聞集 (2 記事)
刑部卿敦兼の北の方
 刑部卿敦兼は、みめのよににくさげなる人なりけり。その北の方は、はなやかなる人なりけるが、五節を見侍りけるに、とりどりに、はなやかなる人々のあるを見るにつけても、まづわが男の悪さ心うくおぼえけり。家に帰りて、すべてものをだにもいはず、目をも見合はせず、うちそばむきてあれば、しばしは、なにごとの出で来たるぞやと、心もえず思ひゐたるに、次第に厭ひまさりてかたはらいたきほどなり。さきざきのやうに一所にもゐず、方を変へて住み侍りけり。
 ある日、刑部卿出仕して、夜に入りて帰りたりけるに、出居に灯をだにもともさず、装束は脱ぎたれども、たたむ人もなかりけり。女房どもも、みな御前の目びきに従ひて、さし出づる人もなかりければ、せんかたなくて、車寄せの妻戸を押し開けて、ひとりながめゐたるに、更たけ、夜静かにて、月の光風の音、物ごとに身にしみわたりて、人の恨めしさも、取り添へておぼえけるままに、心を澄まして、篳篥を取り出でて、時の音に取り澄まして、
  ませのうちなる白菊も  移ろふ見るこそあはれなれ
  われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか
と、繰り返し歌ひけるを、北の方聞きて、心はや直りにけり。それより殊に仲らひめでたくなりにけるとかや。優なる北の方の心なるべし。
[2796 参照]
偸盗
 ある所に、偸盗入りたりけり。あるじ起きあひて、帰らんところをうちとどめんとて、その道を待ちまうけて、障子の破れよりのぞきをりけるに、盗人、物ども少々取りて帰らんとするが、下げ棚の上に鉢に灰を入れて置きたりけるを、この盗人何とか思ひたりけん、つかみ食ひて後、袋に取り入れたる物をば、もとのごとくに置きて帰りけり。待ちまうけたる事なれば、うち伏せてからめてけり。この盗人の振舞ひ、心得がたくて、その子細を尋ねければ、盗人いふやう、「われもとより盗みの心なし。この一両日食物絶えて、せんなくひだるく候ふままに、初めてかかる心着きて、参り侍りつるなり。しかあるを、御棚に麦の粉やらんとおぼしき物の手にさはり候ひつるを、物の欲しく候ふままに、つかみ食ひて候ひつるが、初めはあまり飢ゑたる口にて、何の物とも思ひ分かれず。あまたたびになりて、初めて灰にて候ひけりと知られて、その後は食べずなりぬ。食物ならぬ物を食べては候へども、これを腹に食ひ入れて候へば、物の欲しさが止みて候ふなり。これを思ふに、この飢ゑに堪へずしてこそ、かかるあらぬさまの心も付きて候へば、灰を食べても易く直り候ひけりと思ひ候へば、取るところの物をもとのごとくに置きて候ふなり。」といふに、あはれにもふしぎにもおぼえて、かたのごとくの臓持など取らせて、帰しやりにけり。「後々にも、さほどにせん尽きん時は、はばからず来たりていへ。」とて、常に訪ひけり。盗人もこの心あはれなり。家あるじのあはれみ、また優なり。
[383 参照]
今昔物語集 (3 記事)
影法師
 今は昔、受領の郎等して、人に猛く見えむと思ひて、えも言はずつはものだてける者ありけり。暁に家をいでて、ものへ行かむとしけるに、夫はいまだ臥したりけるに、妻起きて食物のことなどせむとするに、有明の月の、板間より屋の内にさし入りたりけるに、月の光に、妻の、おのれが影の映りたりけるを見て、「髪おぼとれたる大きなる童盗人の、物取らむとて入りにけるぞ。」と思ひければ、あわて惑ひて、夫の臥したるもとに逃げ行きて、夫の耳にさしあてて、ひそかに、「かしこに大きなる童盗人の髪おぼとれたるが、物取らむとて入りて立てるぞ。」と言ひければ、夫、「それをばいかがせむとする。いみじきことかな。」と言ひて、枕上に長刀を置きたるを探り取りて、「その奴のしや首打ち落とさむ。」と言ひて、起きて、裸なる者のもとどり放ちたるが、太刀を持ちていでて見るに、またそのおのれが影の映りたりけるを見て、「早う、童にはあらで、太刀抜きたる者にこそありけれ。」と思ひて、「頭打ち破られぬ。」とおぼえければ、いと高くはなくて、「おう。」と叫びて、妻のある所に入りて、妻に、「わおもとはうるさきつはものの妻とこそ思ひつるに、目をこそいみじくつたなく見けれ。いつか童盗人なりける。もとどり放ちたる男の太刀を抜きて、持たるにこそありけれ。者はいみじき臆病の者よ。わがいでたりつるを見て、持たりつる太刀をも落としつばかりこそ震ひつれ。」と言ふは、わが震ひける影の映りたるを見て言ふなるべし。
[384 参照]
羅城門
 今は昔、摂津の国のほとりより、盗みせむがために京に上りける男の、日の未だ明かりければ、羅城門の下に立ち隠れて立てりけるに、朱雀の方に人しげく歩きければ、人の静まるまでと思ひて、門の下に待ち立てりけるに、山城の方より人どものあまた来たりたる声のしければ、それに見えじと思ひて、門の上層にやはら掻きつき登りたりけるに、見れば、火ほのかにともしたり。
 盗人あやしと思ひて、連子よりのぞきければ、若き女の死にて臥したるあり。その枕上に火をともして、年いみじく老いたる媼び白髪白きが、その死人の枕上にゐて、死人の髪をかなぐり抜き取るなりけり。
 盗人これを見るに心も得ねば、これはもし鬼にやあらむと思ひて、怖ぢけれども、もし死人にてもぞある、おどして試みむと思ひて、やはらとを開けて刀を抜きて、「おのれはおのれは」といひて走り寄りければ、媼手惑ひをして手をすりて惑へば、盗人、「これは何ぞの媼のかくはし居たるぞ。」と問ひければ、媼、「おのれが主にておはしましつる人の失せたまへるを、あつかふ人のなければ、かくて置きたてまつりたるなり。その御髪のたけに余りて長ければ、それを抜き取りて鬘にせむとて抜くなり。助けたまへ。」といひければ、盗人、死人の着たる衣と媼の着たる衣と、抜き取りてある髪とを奪ひ取りて、下り走りて逃げて去りにけり。
 さて、その上の層には、死人の骸ぞ多かりける。死にたる人の葬りなどえせぬをば、この門の上にぞ置きける。このことは、その盗人の人に語りけるを聞きつぎて、かく語り伝へたるとや。
[272 参照]
鹿の歌
 今は昔、丹波の国に住む者あり。田舎人なれども、心に情けある者なりけり。それが妻を二人持ちて、家を並べてなむ住ませける。本の妻はその国の人にてなむありける。それをばあぢきなげに思ひ、今の妻は京より迎へたる者にてなむありける。それをば思ひ増さりたる様なりければ、本の妻心うしと思ひてぞ過ぐしける。しかる間、秋、北の方に、山里にてありければ、後の山の方に、いとあはれげなる音にて、鹿の鳴きければ、男今の妻の家に居たりける時にて、妻に、「こはいかが聞きたまふか。」といひければ、今の妻、「煎物にても甘し、焼物にてもうまき奴ぞかし。」といひければ、男、心に違ひて、「『京の者なれば、かくやうのことをば興ずらむ』とこそ思ひけるに、少し心づきなし」と思ひて、ただ本の妻の家に行きて、男、「この鳴きつる鹿の音は聞きたまひつるか。」といひければ、本の妻かくなむいひける、
 われもしかなきてぞ君に恋ひられし今こそこゑをよそにのみきけと。
 男これを聞きていみじくあはれと思ひて、今の妻のいひつること、思ひ合はせられて、今の妻の志失せにければ、京に送りてけり。さて本の妻となむ棲みける。
[1151 参照]
枕草子 (3 記事)
すさまじきもの
 すさまじきもの 人の国よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されど、それはゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けばいとよし。人のもとにわざと清げに書きてやりつる文の返りごと、今は持て来ぬらんかし。あやしうおそき、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いときたなげに取りなしふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり。」もしは「御物忌とて取り入れず。」と言ひて持て帰りたる、いとわびしくすさまじ。(中略)
 除目に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、早うありし者どものほかほかなりつる、ゐなかだちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、いで入る車のながえもひまなく見え、ものまうでする供に、われもわれもと参りつかうまつり、物食ひ、酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど耳立てて聞けば、前駆追ふ声々などして、上達部など皆いでたまひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男、いとものうげにあゆみ来るを、見る者どもは、え問ひにだにも問はず。ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる。」など問ふに、いらへには、「某の前司にこそは。」などぞ必ずいらふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、ひとりふたりすべりいでて往ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。
[274 参照]
くらげの骨
 中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。」と申したまふ。「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせたまへば、「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となん人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。と、言高くのたまへば、「さては、扇のにはあらで、くらげのななり。」と聞こゆれば、「これ隆家が言にしてん。」とて、笑ひたまふ。
 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせん。
[529 参照]
大蔵卿
 大蔵卿ばかり耳とき人はなし。まことに、蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべうこそありしか。
 職の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将宿直にて、物など言ひしに、そばにある人の、「この中将に扇の絵のこと言へ。」とささめけば、「いま、かの君の立ちたまひなんにを。」と、いとみそかに言ひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「なにとか、なにとか」と耳をかたぶけ来るに、遠くゐて、「憎し。さのたまはば、けふは立たじ。」とのたまひしこそ、いかで聞きつけたまふらむとあさましかりしか。
[320 参照]
万葉集 (0 記事)
紫式部日記 (0 記事)
奥の細道 (0 記事)
大鏡 (4 記事)
世のひきかはり
 女院は、入道殿をとりわき奉らせ給ひて、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせ給へりけり。帝、皇后宮をねんごろに時めかさせ給ふゆかりに、帥殿は明け暮れ御前に候はせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、事に触れて申させ給ふを、おのづかから、心得やせさせ給ひけむ、いと本意なきことにおぼしめしける、ことわりなりな。
 入道殿の世を知らせ給はむことを、帝いみじうしぶらせ給ひけり。皇后宮、父大臣おはしまさで、世の中をひきかはらせ給はむことを、いと心苦しうおぼしめして、栗田殿にも、とみにやは宣旨下させ給ひし。されど、女院の、道理のままの御事をおぼしめし、また、帥殿をばよからず思ひ聞こえさせ給うければ 入道殿の御ことを、いみじうしぶらせ給ひけれど、「いかでかくはおぼしめし、仰せらるるぞ。大臣越えられたることだに、いといとほしく侍りしに、父大臣のあながちにし侍りしことなれば、いなびさせ給はずなりにしこそ侍れ。粟田の大臣にはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむ、いと便なく、世の人も言ひなし侍らむ。」など、いみじう奏せさせ給ひければ、むつかしうやおぼしめしけむ、後には渡らせ給はざりけり。
 されば、上の御局に上らせ給ひて、「こなたへ。」とは申させ給はで、我、夜の御殿に入らせ給ひて、泣く泣く申させ給ふ。その日は、入道殿は上の御局に侯
はせ給ふ。いと久しく出でさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、戸を押し開けて出でさせ給ひける御顔は、赤みぬれつやめかせ給ひながら、御口はこころよく笑ませ給ひて、「あはや、宣旨下りぬ。」とこそ申させ給ひけれ。いささかのことだに、この世ならず侍るなれば、いはむや、かばかりの御有様は、人の、ともかくもおぼしおかむによらせ給ふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。その中にも、道理過ぎてこそは報じ奉りつかうまつらせ給ひしか。御骨をさへこそはかけさせ給へりしか。
[524 参照]
鴬宿梅
 「いとをかしうあはれに侍りしことは、この天暦の御時に、清涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせ給ひしに、なにがしぬしの蔵人にていますがりしとき、承りて、『若き者どもはえ見知らじ。きむぢ求めよ。』とのたまひしかば、一京まかりありきしかども侍らざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体うつくしきが侍りしを、堀り取りしかば、家あるじの、『木にこれ結ひ付けて持て参れ。』と言はせ給ひしかば、あるやうこそはとて、持て参りて候ひしを、『何ぞ。』とて御覧じければ、女の手にて書きて侍りける、
  勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかが答へむ
とありけるに、あやしくおぼしめして、『何者の家ぞ。』と尋ねさせ給ひければ、貫之のぬしの御むすめの住む所なりけり。『遺恨のわざをもしたりけるかな。』とて、あまえおはしましける。繁樹今生の辱号は、これや侍りけむ。さるは、『思ふやうなる木持て参りたり。』とて、衣かづけられたりしも、辛くなりにき。」とて、こまやかに笑ふ。
[529 参照]
大堰川の逍遙
 この大納言殿、無心のこと一度ぞのたまへるや。御妹の四条の宮の、后に立ち給ひて、初めて入内給ふに、洞院上りにおはしませば、東三条の前を渡らせ給ふに、大入道殿も、故女院も胸痛くおぼしめしけるに、按察使大納言は后の御せうとにて、御心地のよくおぼされけるままに、御馬を控へて、「この女御は、いつか后には立ち給ふらむ。」と、うち見入れて、のたまへりけるを、殿をはじめ奉りて、その御族やすからずおぼしけれど、男宮おはしませば、たけくぞ。よその人々も、「益なくものたまふかな。」と聞き給ふ。一条院、位につき給へば、女御、后に立ち給ひて入内し給ふに、大納言殿の、亮につかまつり給へるに、出車より扇をさし出だして、「やや、もの申さむ。」と、女房の聞こえければ、「何事にか。」とて、うち寄り給へるに、進の内侍、顔をさし出でて、「御妹の素腹の后は、いづくにかおはする。」と聞こえかけたりけるに、「先年のことを思ひおかれたるなり。自らだにいかがとおぼえつることなれば、道理なり。なくなりぬる身にこそとこそおぼえしか。」とこそのたまひけれ。されど、人柄しよろづによくなり給ひぬれば、事に触れて捨てられ給はず、かの内侍のとがなるにてやみにき。
 一年、入道殿の大堰川に逍遥せさせ給ひしに、作文の船、管絃の船、和歌の船と分かたせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言殿の参り給へるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」とのたまはすれば、「和歌の船に乗り侍らむ。」とのたまひて、詠み給へるぞかし、
  小倉山あらしの風の寒ければもみぢの錦着ぬ人ぞなき
申し受け給へるかひありてあそばしたりな。御自らものたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩を作りたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。さても殿の、『いづれかと思ふ。』とのたまはせしになむ、我ながら心おごりせられし。」とのたまふなる。一事のすぐるるだにあるに、かくいづれの道も抜け出で給ひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
[364 参照]
流れゆくみくづ
 醍醐の帝の御時、この大臣、左大臣の位にて年いと若くておはします。菅原の大臣、右大臣の位にておはします。その折、帝御年いと若くおはします。左右の大臣に世の政を行ふべきよし宣旨下さしめ給へりしに、その折、左大臣、御年二十八、九ばかりなり。右大臣の御年五十七、八にやおはしましけむ。ともに世の政をせしめ給ひし間、右大臣は、才世にすぐれめでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはします。左大臣は、御年も若く、才もことのほかに劣り給へるにより、右大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、左大臣やすからずおぼしたるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬこと出できて、昌泰四年正月二十五日、大宰権帥になし奉りて流され給ふ。
 この大臣、子どもあまたおはせしに、女君たちは婿取り、男君たちは、みなほどほどにつけて位どもおはせしを、それもみな方々に流され給ひてかなしきに、幼くおはしける男君・女君たち、慕ひ泣きておはしければ、「小さきはあへなむ。」と、公も許させ給ひしぞかし。帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方に遣はさざりけり。かたがたにいとかなしくおぼしめして、御前の梅の花を御覧じて、
  東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
また、亭子の帝に聞こえさせ給ふ、
  流れゆく我はみくずとなり果てぬ君しがらみとなりてとどめよ
なきことにより、かく罪せられ給ふを、かしこくおぼし嘆きて、やがて山崎にて出家せしめ給ひて、都遠くなるままに、あはれに心細くおぼされて、
  君が住む宿のこずゑをゆくゆくと隠るるまでも返り見しはや
また、播磨国におはしまし着きて、明石の駅といふ所に御宿りせしめ給ひて、駅の長のいみじく思へる気色を御覧じて作らしめ給ふ詩、いと悲し。
  駅 長 莫 驚 時 変 改
  一 栄 一 落 是 春 秋
 かくて筑紫におはし着きて、ものをあはれに心細くおぼさるる夕べ、をちかたに所々煙立つを御覧じて、
  夕されば野にも山にも立つ煙嘆きよりこそ燃えまさりけれ
 筑紫におはします所の御門固めておはします。大弐の居所ははるかなれども、楼の上の瓦などの、心にもあらず御覧じやられけるに、またいと近く観音寺といふ寺のありければ、鐘の声を聞こしめして、作らせ給へる詩ぞかし、
  都 府 楼 纔 看 瓦 色
  観 音 寺 只 聴 鐘 声
これは、文集の、白居易の「遺愛寺鐘敧枕聴香炉峰雪撥簾看」といふ詩に、まさまざに作らしめ給へりとこそ、昔の博士ども申しけれ。また、かの筑紫にて、九月九日、菊の花を御覧じけるついでに、いまだ京におはしまししとき、九月の今宵、内裏にて菊の宴ありしに、この大臣の作らせ給ひける詩を帝かしこく感じ給ひて、御衣賜り給へりしを、筑紫に持て下らしめ給へりければ、御覧ずるに、いとどその折おぼしめし出でて、作らしめ給ひける、
  去 年 今 夜 侍 清 涼
  秋 思 詩 篇 独 断 腸
  恩 賜 御 衣 今 在 此
  捧 持 毎 日 拝 余 香
この詩、いとかしこく人々感じ申されき。        (左大臣時平)
[759 参照]
折たく柴の記 (1 記事)
我が父致仕の後
 我が父致仕の後、事に触れてのたまひたりしには、「蘆沢と言ひし者は幼きときに父に後れしを、その父が遺領賜うて、近く召し使はれしに、それが二十歳ばかりに及びしころに、我を召すことありて参りしに、戸部はものに腰掛けて、打刀を横たへておはします。その気色常に変はりぬと思ひしに、『近く参れ。』とありしかば、腰刀を取りて参らんとせしに、『そのままにて参れ。』とありしによりて、近く参りしに、『ただ今蘆沢を召し出だして、手づから誅すべし。それに侯ふべし。』とのたまひ出だしたり。答へ申すこともなくてありしに、ややありて、『いらへ申すこともなきは、思ふところやある。』と仰せられしほどに、『さん侯ふ。かれが常々申し候ひしは、「いとけなきときに父に後れし身の、莫大の主恩によりて、かくまでは生長しぬ。この恩に報ひ参らせんこと、世の常の人々のごとくにしてはかなふべからず。」と申す。天性不敵なるものの、しかも年なほ若くして、をこのふるまひも多く侯へば、いかなる奇怪をかし出かして候ひぬらん。ただし若く侯ふときに、かれらがごとくなるものにあらずしては、年たけ侯ひし後に、ものの用には立たぬもの多く侯ふか。これらのことを存じめぐらし候ふにつきて、御答への遅く候ひしは、恐れ思ふところに候ふ。』と申す。またのたまひ出だすこともなく、我もまた申すこともなくして侯ふほどに、ややありて、『面に蚊の集まりぬるぞ。追ふべし。』とのたまひしほどに、顔を動かしければ、血に飽きて、胡頽子のごとくになりし蚊の、六つ七つはらはらと地に落ちしを、懐の紙を取り出だして、包みて袖にして候ふ。またややありて、『まかり帰りて休み候へ。』とのたまひしかば退出す。かの男は、常に酒を好みて、酔ひ乱れぬることどもありしかば、関と言ひし人の、それに親しかりしを語らひて、二人してまづ酒を断たしめて常にいさめしことどもおこたらず。かくて年月経し後に、つひに父の職をも仰せかうむりたりき。今は戸部もうせ給ひぬれど、初め、我が申せしことばの、むなしからざるやうに、仕へ参らせよと思ふなり。」とのたまひたりき。これは、かの人、久しくしてまた、酗酒のことありしがゆゑなり。
[125 参照]
更級日記 (0 記事)
新古今和歌集 (0 記事)
竹取物語 (2 記事)
五人の求婚
 翁、かぐや姫に言ふやう、「わが子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る志おろかならず。翁の申さむことは聞きたまひてむや。」と言へば、かぐや姫、「何事をか、のたまはむことは、承らざらむ。変化のものにてはべりけん身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ。」と言ふ。翁「うれしくものたまふものかな。」と言ふ。「翁、年七十に余りぬ。けふともあすとも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをすう。そののちなむ門広くもなりはべる。いかでかさることなくてはおはせん。」かぐや姫のいはく、「なんでふ、さることかしはべらん。」と言へば、「変化の人といふとも、女の身持ちたまへり。翁のあらむ限りは、かうてもいますかりなむかし。この人々の年月を経て、かうのみいましつつのたまっふことを、思ひ定めて、ひとりひとりにあひ奉りたまひね。」と言へば、かぐや姫のいはく、「よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、のち悔しきこともあるべきを、と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひがたしと思ふ。」と言ふ。翁いはく、「思ひのごとくものたまふものかな。そもそもいかやうなる志あらむ人にか、あはむとおぼす。かばかり志おろかならぬ人々にこそあめれ。」かぐや姫のいはく、「なにばかり深きをか見んと言はむ。いささかのことなり。人の志等しかんなり。いかでか中に劣りまさりは知らむ。『五人の中に、ゆかしきものを見せたまへらむに、御志まさりたりとて、仕うまつらむ。』と、そのおはすらむ人々に申したまへ。」と言ふ。「よきことな。」とうけつ。
[207 参照]
帝の求婚
 かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝聞こしめして、内侍中臣のふさ子にのたまふ、「多くの人の身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見て参れ。」とのたまふ。ふさ子、承りてまかれり。竹取の家にかしこまりて請じ入れて、会へり。女に内侍のたまふ、「仰せごとに、かぐや姫のかたち優におあはすなり。よく見て参るべき由のたまはせつるになむ参りつる。」と言へば、「さらば、かく申しはべらん、」と言ひて入りぬ。かぐや姫に、「はや、かの御使ひに対面したまへ。」と言へば、かぐや姫「よきかたちにもあらず。いかでか見ゆべき。」と言へば、「うたてものたまふかな。帝の御使ひをば、いかでおろかにせむ。」と言へば、かぐや姫答ふるやう、「帝の召してのたまはんこと、かしこしとも思はず。」と言ひて、さらに見ゆべくもあらず。生める子のやうにあれど、いと心恥づかしげに、おろそかなるやうに言ひければ、心のままにもえ責めず。女、内侍のもとに帰りいでて、「口惜しく、この幼き、者は、こはくはべる者にて、対面すまじき。」と申す。内侍、「必ず見奉りて参れ、と仰せごとありつるものを、見奉らでは、いかでか帰り参らむ。国王の仰せごとを、まさに世に住みたまはむ人の、承りたまはでありなむや。いはれぬことなしたまひそ。」と、ことば恥づかしく言ひければ、これを聞きて、ましてかぐや姫、聞くべくもあらず。「国王の仰せごとをそむかば、はや殺したまひてよかし。」と言ふ。
[290 参照]
玉勝間 (1 記事)
いにしへぶみ(玉勝間・本居宣長)
 おのれ古典を説くに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、いとあるまじきことと思ふ人多かめれど、これすなはち我が師の心にて、常に教へられしは、後によき考への出できたらんには、必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそとなん教へられし。こはいと尊き教へにて、我が師の、世にすぐれ給へる一つなり。
 おほかたいにしへを考ふること、さらに一人二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどかなからん。必ずわろきこともまじらではえあらず。そのおのが心には、今はいにしへの心ことごとく明らかなり、これをおきては、あるべくもあらずと、思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人の異なるよき考へも出でくるわざなり。あまたの手を経るまにまに、先々の考への上を、なほよく考へきはむるからに、次々に詳しくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとて、必ずなづみ守るべきにもあらず。よきあしきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には、言ふかひなきわざなり。
 また、おのが師などのわろきことを言ひ表すは、いともかしこくはあれど、それも言はざれば、世の学者その説に惑ひて、長くよきを知る期なし。師の説なりとして、わろきを知りながら、言はず包み隠して、よさまにつくろひをらんは、ただ師をのみ尊みて、道をば思はざるなり。宣長は、道を尊みいにしへを思ひて、ひたぶるに道の明らかならんことを思ひ、いにしへの意の明らかならんことをむねと思ふがゆゑに、わたくしに師を尊む理の欠けんことをば、えしもかへりみざることあるを、なほわろしと、そしらん人はそしりてよ。そはせん方なし。我は人にそしられじ、よき人にならんとて、道を曲げ、いにしへの意を曲げて、さてあるわざはえせずなん。これすなはち我が師の心なれば、かへりては師を尊むにもあるべくや。そはいかにもあれ。
[292 参照]
土佐日記 (0 記事)
徒然草 (0 記事)
宇治拾遺物語 (2 記事)
目の見えない地蔵菩薩
 これも今は昔、山科の道づらに、四の宮の河原といふ所にて、袖くらべといふ、あき人あつまる所あり。その辺の下衆のありける、地蔵菩薩を一体造りたてまつりたりけるを、開眼もせで櫃にうちいれて、奥のへやなどおぼしき所に納め置きて、世のいとなみにまぎれて、程へにければ、忘れにける程に、三四年ばかりすぎにけり。ある夜、夢に、大路をすぐる者の、声だかに人よぶ声のしければ、「何事ぞ。」ときけば、「地蔵こそ。」と、高くこの家の前にていふなれば、おくのかたより、「何事ぞ。」といらふる声すなり。「明日、天帝釈の地蔵会し給ふには、参らせ給はぬか。」といへば、この小家のうちより、「参らむと思へど、まだ目のあかねば、え参るまじく。」といへば、「かまへて参り給へ。」といへば、「目もみえねば、いかでか参らん。」といふ声すなり。うちおどろきて、「なにのかくは夢にみえつるにか。」と思ひ参らすに、あやしくて、夜あけて、おくのかたをよくよく見れば、この地蔵納めて置きたてまつりたりけるを思ひいだして、みいだしたりけり。これが見え給ふにこそと、おどろき思ひて、いそぎ開眼したてまつりけりとなん。
[492 参照]
大膳亮橘以長の物忌
 これも今は昔、大膳亮大夫橘以長といふ蔵人の五位ありけり。宇治左大臣殿より召しありけるに、今日明日は、かたき物忌を仕り候ふ。」と申したりければ、「いかに、世にある者の物忌といふことやはある。たしかに参られよ。」と、召しきびしかりければ、恐れながら参りにけり。さるほどに、十日ばかりありて、左大臣殿にかたき物忌出できにけり。御門のはざまにかいだてなどして、仁王講おこなはるる憎も、高陽院のかたの土戸より、童子なども入れずして、僧ばかりぞ参りける「御物忌あり。」と、この以長聞きて、いそぎ参りて、土戸より参らんとするに、舎人二人ゐて、「人な入れそと候ふ。」とて、たちむかひたりければ、「やうれ、おれらよ、召されて参るぞ。」といひければ、これらもさすがに職事にてつねに見れば、ちから及ばで入れつ。参りて、蔵人所にゐて、なにとなく声だかにものいひゐたりけるを、左府聞かせ給ひて、「このものいふはたれぞ。」と問はせ給ひければ、盛兼申すやう、「以長に候ふ。」と申しければ、「いかに、かばかりかたき物忌には、夜べより参りこもりたるかとたづねよ。」と仰せければ、行きて仰せの旨をいふに、蔵人所は御所より近かりけるに「くはくは」と大声して、はばからず申すやう、「すぎ候ひぬるころ、わたくしに物忌仕りて候ひしに、召され候ひき。物忌のよしを申し候ひしを、物忌といふことやはある。たしかに参るべきよし仰せ候ひしかば、参り候ひにき。されば物忌といふことは候はぬと知りて候ふなり。と申しければ、聞かせ給ひて、うちうなづき、ものも仰せられでやみにけりとぞ。
[278 参照]
大和物語 (2 記事)
岩手の御鷹
 ならの帝、狩いとかしこく好みたまひけり。陸奥、岩手の郡よりたてまつれる御鷹、世になくかしこかりければ、になうおぼして御手鷹にしたまひけり。名を岩手となむつけたまへりける。それをかの道に心ありて預かりつかうまつりたまひける大納言に預けたまへりける。夜昼これを預かりて、取りかひたまふほどに、いかがしたまひけむ、そらしたまひてけり。心肝をまどはしてもとむるに、さらにえ見いでず。山々に人をやりつつもとめさすれど、さらになし。自らもふかき山に入りて、まどひありきたまへど、かひもなし。このことを奏せでしばしもあるべけれど、二三日にあげず御覧ぜぬ日なし。いかがせむとて内裏にまゐりて、御鷹のうせたるよしを奏したまふときに、帝ものものたまはせず。きこしめしつけぬにやあらむとて、また奏したまふに、面をのみまもらせたまひて、ものものたまはず。たいだいしとおぼしたるなりけりと、われにもあらぬ心地してかしこまりていますかりて、「この御鷹のもとむるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などかおほせごともたまはぬ。」と奏したまふに、帝、
   いはで思ふぞいふにまされる
とのたまひけり。かくのみのたまはせて、ことごとものたまはざりけり。御心にいといふかひなく、をしくおぼさるるになむありける。これをなむ世の中の人、もとをばとかく付けける。もとはかくのみなむありける。
[1361 参照]
信濃の国のをばすて山
 信濃の国に更級といふ所に、男すみけり。若き時に、親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかがまりてゐたるを、つねに憎みつつ、男にもこのをばの御心さがなくあしきことをいひ聞かせければ、むかしのごとくにもあらず、おろかなることおほく、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、ふたへにてゐたり。これをなほ、この嫁、所せがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことをいひつつ、「もていまして、深き山に捨てたうびてよ。」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。月のいとあかき夜、「媼ども、いざたまへ。寺に尊きわざする、見せたてまつらむ。」といひければ、かぎりなくよろこびて負はれにけり。高き山のふもとにすみければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、おり来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ。「やや。」といへど、いらへもせで逃げて、家に来て思ひをるに、いひ腹立てけるをりは、腹立ちてかくしつれど、年ごろおやのごと養ひつつあひ添いにければ、いとかなしくおぼえけり。この山の上より、つきもいとかぎりなくあかくていでたるをながめて、夜一夜寝られず、悲しくおぼえければかくよみたりける。
   わが心なぐさめかねつ更級やをばすて山に照る月を見て
とよみて、またいきて迎へもて来にける。それよりのちなむ、をばすて山といひける。なぐさめがたしとはこれがよしになむありける。
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